宮沢章夫の「考えない人」を読む。
これは、考えない人をめぐる脱力系エッセイ。
酒を飲まない著者は睡眠障害なので、睡眠導入剤を常備しているが、ある日ホテルに宿泊したときにそれを忘れた。眠れないので酒を買おうとして自動販売機の前にたたずみ、ビールにしようか酎ハイにしようか迷った挙句、ついポカリスエットを手にとってしまい、美味しく飲む。しばらくしてはたと気づく。
「俺はいま、何を飲んでいるんだ」。
あるいは、まったく野球に興味のない人が福岡ドームに行った時にもらした「面白くない試合」。相手打線にヒットが1本も出なかったからつまらないという。しかし、よくよく聞いてみると、どうやら完全試合だったようだ。最後は盛り上がっていたでしょう、と問うと、周りのみんなが大騒ぎをしているから、仕方なく騒いだ。なにも考えずに騒ぐ人。危険である。
あるいは、居間に段差がある新築の家。左右から工事を進めているうちに、真ん中に来たあたりで大工さんが気づく。「あ」。寸法が間違っていたのだ。段差にはなんの意味もない。
考えない人は、人をしばしば震撼させる。
などなど、考えない人の例がいとまなく指摘される。
著者は言う。
『「考えない」=「精神の空」と理解すれば、それはきわめて困難な道だ。私にはまだできない。』
ここに、考えないことの醍醐味におののく筆者の謙虚な姿勢を見ないわけにいかない。
キース・ジャレットのハープシコードで、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」を聴く。
ジャレットは言うまでもなくジャズ・ピアニストであるが、バッハやモーツァルトもしばしば弾いているようだ。いままで聴いたことはなかったけれど、あのグルダのように、自由奔放なスタイルでもって、即興的に弾く人かと思っていた。
実際に聴いてみる。なんともまっとうなバッハ。小細工なしの正統派の演奏だと言える。全体的にテンポは遅めなので、ハープシコードのチャラチャラした音が心ゆくまで堪能できる。
もう4,5回聴いているが、まだ飽きない。
ハープシコードによるゴルトベルクを実はあまり聴いていない。レオンハルトとランドフスカとリヒター、ピノックくらい。どれも名盤の誉れ高い演奏だ。
このジャレットの演奏は、それらに負けていないと思う。深みがある。
1989年1月、八ヶ岳高原音楽堂での録音。
パースの肉屋さん。
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