ロストロポーヴィチ指揮ロンドン・フィルの演奏で、チャイコフスキーの交響曲6番「悲愴」を聴きました(1976年10月、ロンドン、キングズウェイ・ホールでの録音)。
「悲愴」は、チャイコフスキーの後期のシンフォニーのなかで最も好きな曲です。
中学生のときは、カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団の疑似ステレオのレコードを、それこそ毎日のように聴いていました。
だけど5番と違って、まだ聴き飽きていない(笑)。
この曲の終楽章は、アダージョで消えるように終わりますが、それにマーラーが影響を受けて第9を構想したとする説があります。そうした革新的な側面もある音楽です。
ロストロポーヴィチは全体を通して概ね中庸なテンポを設定していて、奇を衒ったところはありません。
ロンドン・フィルは、まろやかでどっしりとした音色、各奏者の技量は非常に高いと思います。
1楽章はどの楽器も、音符を慈しむように丁寧に奏でていることがわかります。第2主題は蕩けるように美しい。
2楽章は淡々としています。普段はこの曲を、チャイコフスキーの西欧への憧れとして聴きますが、この演奏はトーンが暗め。
3楽章は昔から好きな曲。煮えたぎるいのちのダイナミズムを感じないわけにいきません。意外なところで強弱の変化をつけており、大変効果的。
終楽章の演奏は、3楽章までの色調を踏襲したものであり、各楽章の連関を強く感じます。弦楽器はときおりポルタメントをきかせて、分厚く鳴らせています。こうでなくちゃ。
パースのビッグムーン。
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