ノリントン指揮シュツゥットガルト放送饗/チャイコフスキー「悲愴」ノン・ヴィブラート奏法による「悲愴」交響曲である。
ノリントンは、こう言っている。
「この曲はよく、ハリウッドの映画音楽のように演奏されます。つまり至るところに《金管の叫び》をちりばめ、ヒステリックなヴィブラートを多用するわけです。しかし、このようなことがチャイコフスキーのスタイル、あるいは彼のメッセージに適っているとは到底思えません。」
すごい発言である。
1930年代からの管弦楽奏法を全否定しているわけで、ひいてはムラヴィンスキー、オーマンディ、カラヤン、フリッチャイ、マゼール、ムーティ、といった指揮者によるチャイコフスキーを否定していることに他ならないのだから。
ノリントンは1998年よりシュッットガルト放送交響楽団の音楽監督を務めているが、このオケはこの30年間、チェリビダッケ、マリナー、ジェルメッティ、プレートルといった、いわばコテコテのモダンスタイルの指揮者によって率いられていたわけだから、いきなりノン・ヴィブラート奏法を始めたノリントンに対して、いい根性をしたヒトだという評価は多いだろう。
しかし、このノリントンによる「悲愴」をどうかと言われたら、私はとらないカナ。響きが貧弱であり、ダイナミズムに欠けていて、深みがないように感じたのである。
これが19世紀のオリジナルだと言われれば、否定はできないが、20世紀から長く引き継がれてきたヴィブラートてんこ盛りの「モダン」奏法を否定するには、説得力が弱いように思う。
もっとも、これは方法の良し悪しではなく、この演奏の固有の問題であるのだろう。
ノリントンのベートーヴェンはなかなかに素晴らしいものだったから。
それとも、もしかしたら私がハリウッドぼけしているだけなのかも知れない。★音楽blogランキング!★にほんブログ村 クラシックブログ無料メルマガ『究極の娯楽 -古典音楽の毒と薬-』 読者登録フォーム
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改めてノリントンのディスコグラフィーを調べたら、ロマン派の録音もかなりの数出ているのですね。マーラーもあるし、ベルリオーズ、ホルスト、メンデルスゾーン等々。私には「悲愴」はいまひとつでしたが、他の録音を聴く楽しみができました。では、まずマラ1を。機会があれば演奏会もいきたいナー。