東野圭吾の「歪笑小説」を読む。
短編の連作小説で、ひとつひとつは独立しているものの、最初から順番に読んだ方が面白いようだ。
書籍の出版社を舞台に、編集者や作家のいささか変わった振る舞いをおもしろおかしく描いたユーモア小説。
2012年が初版であるから、東野のユーモア小説のなかでは新しい部類に属するだろう。なので、よくこなれている。登場人物はみな、少しだけ現実離れしているが、とても人間臭い。
電車のなかでは読まない方がいいだろう。
シューラ・チェルカスキーのピアノで、ストラヴィンスキーの「ペトルーシカ」を聴く。
この曲で印象的なピアノは、ポリーニとキーシン。冴えわたるテクニックを惜しむことなく披露したもので、剛腕をじゅうぶんに生かしきった演奏である。両者ともに名演奏の名に恥じないものであることは認めたうえで、はて、「ペトルーシカ」とは、こんな眩い演奏ばかりでしか楽しめないのかな、という疑問ももういっぽうで感じていた。
そこにあらわれたのが、このチェルカスキー盤。
テンポはポリーニたちに比べ数割くらい遅めである。そして、ひとつひとつの音符を噛みしめるように弾く。強弱の変化や僅かなテンポの変化を縦横に組み合わせ、実に広がりのある、多彩な世界を繰り広げる。七色の輝きを放つ音色も素晴らしい。
テクニックは万全である。かなり、うまい。けれども、そのテクニックはひたすら、空間の幅を広げることに使われているので、いたずらにうまいという感じはない。ポリーニたちの演奏に比べたら牧歌的とさえ言えるかもしれない。
こういうピアノを聴くと、ああ「ペトルーシカ」はロマン派の音楽なのだな、ということを実感する。
いいピアノである。
1963年12月5日、ルガーノ、スイス・イタリア語放送オーディトリアムでのライヴ録音。
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