楡周平の「衆愚の時代」を読む。
民主主義を衆愚の政治と言ったのは山﨑武也だが、本書にも同様のことが書いてある。一般市民はワタシのようなバカばかりだから、多数が正しいとは限らない。それが正しいと思ったならば、めぐりめぐって倍返しで返ってくることがある。
そのひとつが「派遣切り」。
例えば日本の宅配便業界はいまや当日のうちに届ける、あるいは時間指定といったサービスが定着している。これはもちろん、ユーザーであるわれわれの要望に基づいたものである。
「工場は極めて綿密に管理されたスケジュールの下で製品を製造していますから、適切な労働力を事前に用意できもすれば、作業時間も事前に読めはします。ところが、当日配送の物流拠点では、始業時間を迎えてみないことには、どれほどの作業量になるのか、皆目見当がつきません。限られた時間の中では、到底不可能な注文が舞い込むこともあれば、注文が極めて少なく、作業員が手持ちぶさたにラインの前にたたずむばかりという事態も間々発生したりするものです。あるかどうか分からない注文のために、多くの労働者を現場に貼り付けておく。これは企業の収益に直結する大きな問題です。ましてや、これを正社員として雇用した人間に任せるとなれば、莫大な固定費がかかります」。
これは一例である。
われわれが望む過剰なサービスが、やがて自分の首を絞めることにもなろう。
クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の演奏で、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ(1947年版)」を聴く。
いろいろとつっこみどころがある演奏である。
クレンペラーの演奏だから、明晰なものだと予想していたが、果たしてそうだった。副声部が異様なまでにクッキリと聴こえる。いままで聴いてきた録音では、聴いたことがない音が、次から次へと出てくる。
そしてテンポが遅い。ペトルーシュカで38分かける指揮者はいままでいたかしら? なので、よりいっそう、ディテイルが眼前に迫る。
また、TESTAMENTでありながら、この録音はアビー・ロード・スタジオで2日間かけているので、セッションであると思われる。にしては、瑕疵がある。フィルハーモニアにしては多いのじゃないか。クレンペラーは相変わらずリズム感はよいものの、縦の線は揃っているわけではない。わりと大雑把。けれども先に述べたように、全ての音がリアルに聴こえるので、散漫な感じはしない。色調は明るめでありつつ、フレーズの歌わせ方に哀感がこもっている。
この曲は、部のフィナーレごとにティンパニのソロがあるが、それが機械的ではなく、人間味が濃い。というか、はっきり言ってしまうと、技術的にはアンバランスでありながら、なにか不思議な味わいがあるのである。
今まで聴いた「ペトルーシュカ」の演奏(ドラティ、マゼール、ブーレーズ、デュトワ、アバドなど)がスマートすぎるのか、あるいはこの演奏が異形なのか。
ともかく、面白い演奏である。
1967年3月、ロンドン、アビー・ロード・スタジオ1での録音。
休憩。
重版できました。
「ぶらあぼ」4月号に掲載されました!PR