沢村貞子の「わたしの献立日記」を読む。
カラヤンと同じ年に生まれた女優が書いた、これは文字通りの献立日記。
これは、私が贔屓にしている神楽坂の「カド」
http://kagurazaka-kado.com/にひっそりと置いてある料理本からの一冊。
著者はこう言う。
「ほかに道楽はない。住むところはこぎれいなら結構。着るものはこざっぱりしていれば、それで満足。貴金属に興味はないから指輪ははめないし、預金通帳の0を数える趣味もない。いわば、ごく普通の暮らしをしている。ただ-食物だけは、多少せいたくをさせてもらっている」。
この日記は、昭和41年4月から平成4年11月まで続けられた。1冊目は、こう始まる。
昭和41年4/22(金)
牛肉バタ焼き
そら豆の白ソース和え
小松菜とかまぼこの煮びたし
若布の味噌汁
バリエーションは様々。読むだけで涎がでそうである。
この日記は、夫の大橋恭彦が死ぬまで続けられた。
仕事あとの一杯を飲みながら読むのに、いい本である。
デニス・マツーエツのピアノ、続いてシューマンの「子供の情景」を聴く。
これもカーネギー・ホールで演奏した模様であるが、リストとは違い、変化球を多用した演奏である。
これももちろん、ホロヴィッツの得意曲。どんなふうに料理をしたか。
「見知らぬ国と人々について」はじっくりと遅い。こんなに遅い演奏を聴いたのは初めてかもしれない。テンポと強弱は微妙に変化させている。自己主張が強くて元気な子供。
「珍しいお話」は快活。未知なるものへのトキメキに溢れている。
「鬼ごっこ」は切っ先鋭い。テンポの変化も大きい。
「おねだり」は夢見心地な日曜の夜をよく捉えている。
「満足」は豊満。広がりが華やか。
「大事件」も大きい。小さな胸が張り裂けそう。
「トロイメライ」はじっくり遅い。ここもテンポは移り変わる。かなり感情移入をしており、情感が深い。
「炉端で」も変幻自在。自由に崩している。冬が恋しくなる。
「木馬の騎士」は煌びやか。高音が艶やか。
「むきになって」もゆっくり。しっとりと淡い幻想味をじわりと感じる。
「びっくり」では、右手と左手を巧妙にずらして奏している。ロシアのピアニストにときおり見られる。臨場感がある。
しっとりと、いささか陰気な「子どもは踊る」。子供の悩みこそ深い。
「詩人は語る」。いっちょ大人が締めてみる。感受性では及ばぬが、経験で語る。とはいえ、この詩人は若者だ。
変化球を多用することでシューマンの幻想味は薄くなっているが、リアルな肌触りのする「子供の情景」である。
2007年11月17,19日、ニューヨーク、カーネギー・ホールでのライヴ録音。
ブーケ。
綺麗でしょ?
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