シューマン:ピアノ協奏曲 ユージン・イストミン(Pf) ワルター指揮コロンビア交響楽団大崎善生の「キャトルセプタンブル」は「ドイツイエロー、もしくのはある広場の記憶」に収録されている中編。著者は元「将棋世界」の編集長で、「聖の青春」で作家としてデビューした。これは故村山九段の半生を描いた長編小説で、まあこれほど泣ける小説もそうそうない。そのあとに出した「将棋の子」もとてもよく、将棋ものが2作続いたことで、この作家は将棋に特化した世界でやっていくのかと思ったが、2002年の「パイロット・フィッシュ」あたりから、恋愛モノを中心に一般人をメインに描くようになってきた、らしい。
将棋モノ以外の作品は初めて読んだが、みずみずしい感性がストレートに伝わってくる作品だ。若者を主人公とした恋愛小説ということもあって、読んでいて学生時代のことをぼんやりと思いだした。似たようなことがあったような記憶があるなあ、などとアホヅラさげて。なんだかうらやましいようなそうでもないような。まあ、どことなく懐かしいのだった。
イストミンの名を知ったのは、スターンたちとのトリオの一員として。ビック・ネームのおかげで有名になった、ということもあるだろうし、それが逆にメーワクだったのかもしれない。そのへんは定かではないが、芸の格ということでは、スターンに負けていない。というよりむしろ上だったのじゃないかと、このシューマンを聴いて思った。
この演奏でまずハッとさせられるのは、ワルターの指揮。やや速めのテンポのなかで、切れ味よくしなやかに躍動するところは、目隠しされたら新鋭の指揮者ではないかと思うだろう。音楽が進んでゆき、メロディーの節目の味付けや強弱の按配を聴くと、これはかなりのベテランの技じゃないかと、だんだんと感じるようになる。
イストミンのピアノは明快で、流れが自然。硬すぎず柔らかすぎず、中くらいの温度を保っている。淡白といってもいいかもしれない。その薄味でさりげない音のスキマから、淡いロマンが立ち昇ってくる。じわじわとシューマンの霊気が漂ってくる。こういう、一見なんの変哲もなさそうなピアノにこそ、むしろシューマンの霊感を感じることが多いのだ。こういうシューマンを演奏できるイストミンの技量は高い。
1960年1月、ハリウッド、アメリカン・レジオン・ホールでの録音。
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