吉田秀和が小林秀雄を語っている文章がある。「演奏家で満足です」というエッセイ。
あまりに面白いので、少し長いが引用しよう。
『数年前、大磯の大岡昇平さんのお宅で、小林さんにお目にかかった。少し酒が入ると、小林さんが、レコードをききたがり、「名人をきかせろ、名人をきかせろ」と言った。大岡さんが、「そう、何があるかな」といって、探したが、なかなかうまいのが出てこない。失礼だと思ったが、私が立って、大岡さんのコレクションをひっかきまわしてみると、いろいろモオツァルトの珍らしい曲とか何とかはあっても、名人の名演と呼べるほどのレコードはほとんどない。やっと、オイストラフの独奏したシベリウスのヴァイオリン協奏曲がみつかったので、それをかけると、小林さんはとても陽気になり、一段と早口になって、「こうこなくっちゃ、いけません」とか何とか言いながら、真似をしたり、陶然とききほれたり、それを見ているのは、本当に楽しかった』
オイストラフのシベリウスは何種類かあるのだろうから、小林が聴いたのはこれかどうか確信はない。だが、入手しやすいのはオーマンディが指揮したものだし、演奏もいい。このレコードを聴いて、小林は機嫌を良くしたのだと夢想する。
ヴァイオリンは文句のつけようがない。適度な硬度をもった音色の伸びやかさ、難しいパッセージを難なく駆け抜けるテクニック、音程の確かさ、間の取り方、深い呼吸、追い込みの迫真力。どれも絶妙である。痺れます。
オーマンディのオーケストラもいい。ソリストにぴったりと寄り添うだけではなく、大交響曲のようなスケールの大きさを引き出している。ソロも闊達。
こうこなくっちゃ、いけない。
1959年12月、フィラデルフィア、ブロードウッド・ホテルでの録音。
海辺。
重版できました。
「ぶらあぼ」4月号に掲載されました!PR