ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ(br) ヘルタ・クルスト(pf)苅谷剛彦の「知的複眼思考法」を読む。
この本には、常識にしばられたものの見方を批判し、自分で考えることのヒントが書かれている。批判的読書の効用から論理的な文章の記述方法、そして問いのたて方と展開のしかたといったような実践編まで、具体例をふんだんにまじえながら解説する。
例えば、いじめについての考察。『集団内の異質性が、集団からの排除を受けるのはなぜか』という問いに対し、『日本人は均質性を好むから、異質な分子を集団から排除するのだ』といったよくきく日本人論的発想がある。けれども、実はイギリスの全寮制の中学校やアメリカの軍隊でもいじめはあるので、こういったステレオタイプの回答はあてはまらない、という。
著者は答えそのものは提示せず、このように答えに至る経過の手続きを、いろいろな角度からレクチャーしていく。
文庫で350ページの容量にかなりの情報がつまっているから、一気に読んでしまうよりも、なにか気づいた都度に目次から拾い読みするほうがいいようだ。
ディースカウの「リーダークライス24」は、エッシェンバッハとのDG盤が桁外れにいい演奏なので、他の数ある録音のすべてを聴かずして決定版といってしまいたい出来だと思っていたのだが、このクルストとの歌も相当なものだ。
ディースカウの歌そのものは70年代以降の流麗な歌い回しではないし、またピアノもどちらかというと大まわりが効いていて、聴いた感じは朴訥である。その朴訥感がとても新鮮なのだ。ドイツ語の輪郭がはっきりと聴こえるところはなんともゴツくて頼もしいし、声は張りがあってフレッシュそのもの。
シューマンがこの曲を作ったのは、30歳になるかならない頃で、歌っているディースカウは同じか少し上くらい。作曲年代と演奏者のトシは必ずしも同じくらいだからいいわけではないけれど、この録音については、とても合っているように思える。
シューマンが酸いも甘いも知り尽くした成熟の時を迎える前夜ともいえる時代に作り上げたこの曲こそは、その夢想を躊躇なく発散し尽くした音楽である。
何度も言うが、ディースカウの声が抜群によい。後年のような陰影は薄いが、それを補って余りある鮮度を感じる。声そのものはこの頃が一番すばらしいかもしれない。
1956年9月16日、ベルリン・ツェーレンドルフ、ゲマインデハウスでの録音。
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